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更新日:2017年7月21日

「旧石曽根商店店舗兼主屋」の国登録有形文化財登録について

文化庁の文化審議会は、平成29年7月21日(金曜日)開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、本市に所在する「旧石曽根商店(きゅういしそねしょうてん)店舗兼主屋(てんぽけんしゅおく)」を登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申しました。これにより、藤沢市における登録有形文化財の建造物は、12箇所29件となります。

なお、国全体では新たに245件が登録され、累計では11,508件となります。
県内では、5箇所19件が追加となり、120箇所、238件となります。

【旧石曽根商店店舗兼主屋】1件

非公開

  • 構造・形式:建築物、木造2階建、鉄板葺
  • 建築面積:115.3平方メートル
  • 建築年代:大正13年建築、昭和42年改修
  • 登録基準:「造形の規範となっているもの」
  • 所在地:藤沢市藤沢字東横須賀

沿革

石曽根家は、旧東海道沿いで江の島道との分岐点のやや西側に在り、屋号は「マルイシ」で履物屋(下駄屋)を営んでいました。

創業者の達次氏は、昭和8年(1933年)刊行の『現在の藤沢』によれば、明治11年(1878年)鵠沼で生まれ、藤沢の履物屋の老舗・石上の宮澤辰五郎氏の弟子となり、東京・横浜で修業したのち、明治34年(1901年)に藤沢に戻って店を開いたと伝えられている。先述の『現在の藤沢』によれば、「履物業界(中略)、新興気鋭の業者としては西に台町の松本屋、中央に仲の町の高倉屋、東に旅籠町の石曽根等ありて、互いにその覇を争ふに似たり」とあり、多くの職人を抱えて下駄を製造していた藤沢有数の履物屋であった。

石曽根家は、明治34年の創業当初は江の島道沿いに店を構えていたが、大正12年(1923年)の関東大地震の際、店舗などが境川へ崩落する被害に遭い、震災後の大正13年に現在地に移転。

店舗兼主屋は間口4間半で1、2階とも立ちが高く2階正面のみを出桁造(だしげたづくり)とする。1階は道路側にミセとオロシバ、その奥の西側に6畳と4畳半、東側にブツマを置き、その背後に便所・台所・浴室などの水回りを設ける。諸室を中廊下で区切る点が町屋としては異例である。

ミセ・オロシバは、北側の下屋部分のみ土間で、当初はミセは畳敷き、オロシバは板敷きであった。履物屋という商売上広い床上空間を必要としたためと考えられ、ミセは現在は板敷きで、奥の諸室に比べ当初より1.1尺(約33cm)低くなっている。

天井は高い根太天井(ねだてんじょう)、ミセの東西面と南面には商品や材料を収納する棚が作りつけられ、竣工当時の姿をよく残している。

正面外観

【正面外観】

ミセ西面

【ミセ西面】

1階四畳半

1階4畳半西面

竣工直後の古写真

【竣工直後の古写真】

 

1階の居住部分の6畳は改造が大きいが、4畳半とブツマは当初の内装を良く残し、4畳半は天井に皮付丸太や角竹を用いる数寄屋風の意匠で、中庭に面した庇や便所・浴室にも数寄屋の要素がみられる。庇は磨き丸太の垂木に杉板と目透かし張りにし、便所は井桁組の丸太に網代(あじろ)を配した天井、変木を用いた丸窓などを凝った意匠で大工の力量が窺える。

2階は、3畳とミセ上部の8畳・6畳から成る。8畳は1間床や銘木の床柱、猿頬(さるほお)の細身の竿縁(さおぶち)など同家で最も格が高い造りで、2階に主座敷を置く近代町屋の典型的な構成といえる。

 

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