2007年12月25日号 広報ふじさわ…市長対談・市民の広場  〔 1 / 3 page 〕

ふじさわ探訪引地川・高名橋

引地川・高名橋

 明治小学校の北側、大庭と稲荷の境を流れる引地川に、高名橋が架かっています。

 この橋の名は、元は鷹匠橋と呼ばたれたとの伝えがありますが、江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」には「鷹野橋」、明治3(1870)年の大庭村「明細帳」には「高名橋」とあり、また明治12(1879)年の大庭村「皇国地誌村誌」では「鷹場橋」と記されており一定ではありません。

 鷹匠橋の名の由来は、一般的に近くに御鷹場があり、鷹狩りに際して鷹匠(鷹を飼い操る人)や御鷹役人(鷹狩りに従事する役人)を迎えたことによるものと言われています。

御鷹場とは江戸時代に徳川将軍家が鷹狩りを行った場所のことですが、当時、市域の属した高座郡内にも御鷹場が設定されており、江戸初期には藤沢宿に「藤沢御殿」(将軍家の宿泊施設)があったので、鷹匠の通行があったかもしれません。

地元には、源頼朝が大庭野へ鷹狩りに来たときに鷹匠がこの橋を架けたとの伝承もあります。

 市内にはほかに、村岡の宮前(柏尾川、古館橋の異称)、下土棚(引地川、上河内橋の辺りにあったと伝える)、宮原(目久尻川)に名が残っています。

また高倉(境川)の高飯橋は明治時代まで鷹匠橋と呼ばれていたそうで、大庭の北の谷橋(引地川)は、架け替え後、大庭鷹匠橋と名を変えました。

 江戸時代には、比較的大きな川では橋を地域住民の力で架けることは難しく、領主や鷹匠など公的な利用を目的に架けられることが多かったことから、各地にこの名が残されたものと思われます。

問い合わせ 生涯学習課博物館準備担当【電話】(46)5106、【FAX】(46)5096。