とくしゅう

藤沢(ふじさわ)(りゅう)

まつぼっくりくんまつぼっくりちゃん
ふき出し開始   藤沢(ふじさわ)にはいろいろな (りゅう)伝説(でんせつ)(つた)わっていて、 (りゅう)()彫刻(ちょうこく)などがたくさんのお (てら)神社(じんじゃ)などにあるんだよ。 (とく)()(しま) 周辺(しゅうへん)には (ふる)くから (つた)わる (りゅう)伝説(でんせつ)があり、 (りゅう)関連(かんれん)するものがたくさんあるよ。
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「江嶋縁起(えのしまえんぎ)」に描(えが)かれている五頭龍(ごずりゅう)と天女(てんにょ)(岩本楼所蔵(いわもとろうしょぞう))
江嶋縁起(えのしまえんぎ)」に (えが)かれている 五頭龍(ごずりゅう)天女(てんにょ)岩本楼所蔵(いわもとろうしょぞう)

  藤沢(ふじさわ)には、 (りゅう)(かん)するさまざまな 伝説(でんせつ)(のこ)っています。
  ()(しま) 周辺(しゅうへん)をはじめ、 市内(しない)寺社(じしゃ)保存(ほぞん)されている (りゅう)にまつわる (ふる)()(つた)えや 宝物(ほうもつ)からは、 (りゅう)(むかし)から 大事(だいじ)にされてきたことを ()ることができます。
 2012 (ねん)は、「 (りゅう)」をキーワードに 市内(しない)(たず)ねてみませんか。

天女(てんにょ)五頭龍(ごずりゅう)伝説(でんせつ)〜「 ()(しま) 縁起(えんぎ)〜」より

  (むかし)鎌倉(かまくら)深沢村(ふかざわむら)(おお)きな (みずうみ)に「 五頭龍(ごずりゅう)」と ()ばれる (りゅう)()み、 (わる)いことばかりしていたので (ちか)くの 村人(むらびと)たちは (こま)っていました。
 そんなある ()(おそ)ろしい (あらし)地震(じしん)()こった (あと)天女(てんにょ)(あらわ)れ、 (うみ)にはひとつの (ちい)さな (しま)ができました。この (ちい)さな (しま)()(しま)天女(てんにょ)弁財天(べんざいてん)だと ()われています。
  五頭龍(ごずりゅう)は、 (うつく)しい 天女(てんにょ)()きになりました。 ()(しま)へやってきて「 (つま)になってください」とお (ねが)いしましたが、 天女(てんにょ)は「 人々(ひとびと)(くる)しめている (もの)とは 一緒(いっしょ)になれません」と (ことわ)り、 洞窟(どうくつ)奥深(おくふか)くへと (かく)れてしまいました。
  天女(てんにょ)のことを (あきら)められない 五頭龍(ごずりゅう)は「これからは (こころ)()()え、 村人(むらびと)のために (はたら)きます」と (ちか)いました。 一生懸命(いっしょうけんめい)(はたら)いた 五頭龍(ごずりゅう)は、ついには (みずか)らの (からだ)(やま)()え、いつまでも (むら)(まも)ることにしました。これが 片瀬(かたせ)にある 竜口山(たつのくちやま)であると ()われています。
 この 伝説(でんせつ)は、「 ()(しま) 縁起(えんぎ) 絵巻(えまき)」という 文書(ぶんしょ)にかかれています。 平安時代(へいあんじだい)物語(ものがた)りが ()まれ、 鎌倉時代(かまくらじだい)絵巻(えまき)として (つく)られたとされています。この 絵巻(えまき)には 江島神社(えのしまじんじゃ)歴史(れきし)弁財天(べんざいてん)不思議(ふしぎ)(ちから)についての 説明(せつめい)がまとめられています。

鎌倉(かまくら)龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)には 木彫(きぼ)りの 五頭龍(ごずりゅう)がご 神体(しんたい)として (おさ)められているの。60 (ねん)一度(いちど)の「 巳年式年大祭(みどししきねんたいさい)」で ()(しま)までおみこしで (はこ)ばれて、 天女(てんにょ)再会(さいかい)する 儀式(ぎしき)(おこな)われるのよ!なんだか、 七夕(たなばた)のおり (ひめ)とひこ (ぼし)みたいでロマンチックよね! ふき出し開始


まつぼっくりちゃん

龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)に奉納(ほうのう)されている五頭龍(ごずりゅう)の絵馬(えま)
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)奉納(ほうのう)されている 五頭龍(ごずりゅう)絵馬(えま)

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雨乞(あまご)祈願(きがん)の「 (りゅう)(ほね)」〜 宗賢院(そうげんいん)

  宗賢院(そうげんいん)大庭(おおば))には、「 大龍骨(だいりゅうこつ)」と ()ばれる (ほね)があります。

  (むかし)から「 日照(ひで)(つづ)きの (とき)(りゅう)(ほね)小川(おがわ)()()して (みず)(そそ)ぐと (あめ)()る」という ()(つた)えがありました。 同院(どういん)(つた)わる 文書(ぶんしょ)には、 明治(めいじ)のはじめから 大正時代(たいしょうじだい)にかけて、 (なつ)日照(ひで)りの 時期(じき)、この「 大龍骨(だいりゅうこつ)」を 使(つか)って 引地川(ひきじがわ)雨乞(あまご)祈願(きがん)儀式(ぎしき)(おこな)われていたことが 記録(きろく)されています。 (ちか)くの (むら)からも、 雨乞(あまご)祈願(きがん)のために 大龍骨(だいりゅうこつ)()りに ()たそうです。

 「 大龍骨(だいりゅうこつ)」は、 (たか)さ27cm、 (なが)さ62cmほど。 現在(げんざい)では 鯨類(くじらるい)頭骨(ずこつ)推定(すいてい)されていますが、 地域(ちいき)(まも)ってきた 宝物(ほうもつ)として 大切(たいせつ)保存(ほぞん)されています。

まつぼっくりくん

大切(たいせつ)に保存(ほぞん)されている「大龍骨(だいりゅうこつ)」
大切(たいせつ)保存(ほぞん)されている「 大龍骨(だいりゅうこつ)

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北条氏(ほうじょうし)龍信仰(りゅうしんこう)〜ミツウロコ (もん)由来(ゆらい)

「弁財天(べんざいてん)と時政(ときまさ)」〜初代歌川国貞(しょだいうたがわくにさだ)(藤沢市所蔵(ふじさわししょぞう))
弁財天(べんざいてん)時政(ときまさ)」〜 初代歌川国貞(しょだいうたがわくにさだ)藤沢市所蔵(ふじさわししょぞう)

  北条政子(ほうじょうまさこ)(ちち)北条時政(ほじょうときまさ)は、 弁財天(べんざいてん)(ふか)信仰(しんこう)していました。 時政(ときまさ)()(しま) 弁財天(べんざいてん)にこもって 子孫(しそん)繁栄(はんえい)(いの)っていると、 満願(まんがん)(よる)()(がた)(あか)(はかま)()につけた (うつく)しい 女房(にょうぼう)姿(すがた)をした (りゅう)(あらわ)れ、「あなたの 子孫(しそん)栄華(えいが)(ほこ)ることになる。ただし 非道(ひどう)(おこな)いがあれば (いえ)はたちまち 滅亡(めつぼう)するので、よくよく ()をつけなさい」と ()げました。

  ()()めると、 時政(ときまさ)()のひらには3 (まい)(りゅう)のウロコが (のこ)されていたそうです。

 そのウロコを 大事(だいじ)()(かえ)った 時政(ときまさ)は、 北条家(ほうじょうけ)家紋(かもん)を「 ()(ウロコ)」としました。

 この (はなし)は、「 吾妻鏡(あずまかがみ)」に ()てくるエピソードがもとになっています。

  ()(しま)島内(とうない)では、 現在(げんざい)でも 寺社(じしゃ)公共(こうきょう)建築物(けんちくぶつ)などに、ミツウロコ (もん)のデザインが 数多(かずおお)使(つか)われています。

灯籠(とうろう)や石段(いしだん)の手(て)すりにミツウロコの紋(もん)が使(つか)われています(いずれも江(え)の島(しま)にて撮影(さつえい))   灯籠(とうろう)や石段(いしだん)の手(て)すりにミツウロコの紋(もん)が使(つか)われています(いずれも江(え)の島(しま)にて撮影(さつえい))
灯籠(とうろう)石段(いしだん)()すりにミツウロコの (もん)使(つか)われています(いずれも ()(しま)にて 撮影(さつえい)

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まつぼっくりくん
ふき出し開始  それでは 五頭龍伝説(ごずりゅうでんせつ)()(しま)(りゅう)()()こう!
()づけばあちらこちらに (りゅう)がいます。 (さが)してみよう!
まつぼっくりくん   まずは江(え)の島(しま)への入(い)り口(ぐち)、弁天橋(べんてんばし)たもとの龍燈(りゅうとう)です。本体(ほんたい)に龍(りゅう)が巻(ま)き付(つ)いています。2001年(ねん)江島神社(えのしまじんじゃ)鎮座(ちんざ)1450年(ねん)を記念(きねん)して建(た)てられました

まずは ()(しま)への ()(ぐち)弁天橋(べんてんばし)たもとの 龍燈(りゅうとう)です。 本体(ほんたい)(りゅう)()()いています。
2001 (ねん) 江島神社(えのしまじんじゃ) 鎮座(ちんざ)1450 (ねん)記念(きねん)して ()てられました

  江島神社(えのしまじんじゃ)入口(いりぐち)にある弁財天(べんざいてん)童子像(どうじぞう)にも龍(りゅう)の姿(すがた)。童子(どうじ)とは弁財天(べんざいてん)の従者(じゅうしゃ)になります   まつぼっくりちゃん

江島神社(えのしまじんじゃ) 入口(いりぐち)にある 弁財天(べんざいてん) 童子像(どうじぞう)にも (りゅう)姿(すがた)童子(どうじ)とは 弁財天(べんざいてん)従者(じゅうしゃ)になります

まつぼっくりくん   手水舎(ちょうずや)の水(みず)の出口(でぐち)も龍(りゅう)の頭(あたま)だよ

手水舎(ちょうずや)(みず)出口(でぐち)(りゅう)(あたま)だよ

  田寸津比売命(たぎつひめのみこと)が祭(まつ)られている辺津宮(へつのみや)の拝殿(はいでん)の上(うえ)の方(ほう)に天女(てんにょ)の彫刻(ちょうこく)を発見(はっけん)   まつぼっくりちゃん

田寸津比売命(たぎつひめのみこと)(まつ)られている 辺津宮(へつのみや)拝殿(はいでん)(うえ)(ほう)天女(てんにょ)彫刻(ちょうこく)発見(はっけん)

まつぼっくりくん   辺津宮(へつのみや)のそばにある銭洗(ぜにあらい)いの池(いけ)(弁財天黄金浄水(べんざいてんおうごんじょうすい))では白龍(はくりゅう)が見守(みまも)っています

辺津宮(へつのみや)のそばにある 銭洗(ぜにあらい)いの (いけ)弁財天黄金浄水(べんざいてんおうごんじょうすい))では 白龍(はくりゅう)見守(みまも)っています

  階段(かいだん)を登(のぼ)って市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)の祭(まつ)られる中津宮(なかつのみや)の拝殿(はいでん)には、龍(りゅう)の彫刻(ちょうこく)があります   まつぼっくりちゃん

階段(かいだん)(のぼ)って 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)(まつ)られる 中津宮(なかつのみや)拝殿(はいでん)には、 (りゅう)彫刻(ちょうこく)があります

まつぼっくりくん   さらに登(のぼ)って奥津宮(おくつのみや)のそばのトイレにある手洗(てあら)いの蛇口(じゃぐち)も龍(りゅう)です。口(くち)から水(みず)が出(で)てきます

さらに (のぼ)って 奥津宮(おくつのみや)のそばのトイレにある 手洗(てあら)いの 蛇口(じゃぐち)(りゅう)です。 (くち)から (みず)()てきます

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  多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)が祭(まつ)られる奥津宮(おくつのみや)拝殿(はいでん)手前(てまえ)にある灯籠(とうろう)にも龍(りゅう)と天女(てんにょ)の彫刻(ちょうこく)が!!   まつぼっくりちゃん

多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)(まつ)られる 奥津宮(おくつのみや) 拝殿(はいでん) 手前(てまえ)にある 灯籠(とうろう)にも (りゅう)天女(てんにょ)彫刻(ちょうこく)が!!

 

まつぼっくりくん

奥津宮(おくつのみや) 拝殿(はいでん)には (おお)きなしゃくしが 奉納(ほうのう)されていて、
(ひだり)には (りゅう)(みぎ)には 天女(てんにょ)(えが)かれています

  奥津宮(おくつのみや)のとなりにある竜宮(わだつみのみや)の龍(りゅう)   まつぼっくりちゃん

奥津宮(おくつのみや)のとなりにある 竜宮(わだつみのみや)(りゅう)

まつぼっくりくん   龍穴(りゅうけつ)とも呼(よ)ばれる岩屋(いわや)の洞窟(どうくつ)は、長(なが)い年月(ねんげつ)をかけて波(なみ)が岩(いわ)を削(けず)ってできたもの

龍穴(りゅうけつ)とも ()ばれる 岩屋(いわや)洞窟(どうくつ)は、 (なが)年月(ねんげつ)をかけて (なみ)(いわ)(けず)ってできたもの

  岩屋(いわや)の池(いけ)の中(なか)に龍(りゅう)の彫刻(ちょうこく)があるんだ!   まつぼっくりちゃん

岩屋(いわや)(いけ)(なか)(りゅう)彫刻(ちょうこく)があるんだ!

まつぼっくりくん   第一岩屋(だいいちいわや)の奥(おく)にある龍(りゅう)の置物(おきもの)

第一岩屋(だいいちいわや)(おく)にある (りゅう)置物(おきもの)

  第二岩屋(だいにいわや)の奥(おく)の龍(りゅう)。時々(ときどき)光(ひか)って吠(ほ)えます   まつぼっくりちゃん

第二岩屋(だいにいわや)(おく)(りゅう)時々(ときどき) (ひか)って ()えます

()(しま)には、もっと (りゅう)(かく)れているかもよ!
()(しま)シーキャンドルやサムエル・コッキング (えん)などで (はる)(たの)しむついでに、
みんなで 島中(しまじゅう)(さが)してみよう!!
ふき出し開始

まつぼっくりくんまつぼっくりちゃん