2010年5月10日号 広報ふじさわ…市長対談・市民の広場  〔 1 / 3 page 〕

第59回テーマ 「忘れられない先生」

「今」を生きろ

▲著者近影
▲著者近影

■本藤沢在住

若田部(わかたべ) 聖悟(しょうご)さん(78歳)

 敗戦から2、3年経っていた。まだ戦後の混乱が続いていた。

 当時14歳。中学生の私たちは、今まで使っていた教科書を来る日も来る日も墨で塗りつぶしていた。戦争一色の世の中が一転、それこそ180度逆転し、「民主主義」全盛になった。信じている世界が音を立てて崩れる感じだった。

 この世の中はどうなるのか。信じられるものはあるのか。人生とは何だろうか。まだ幼い私は悩んだ。

 そんなとき、担任の松本先生が廊下で声を掛けてくれた。

 「どうした?何か悩んでいることがあるのか?」

 一瞬ドキッとした。が、日ごろの疑問を素直に先生にぶつけた。すると先生は、じーっと眼を閉じ考え込んでいたが、ゆっくり眼を開き、私の眼を見つめて……

 「それはとっても良い質問だ。素晴らしい。偉いね。まだ14歳の君にとって人生は分からないのは当たり前。当然だ。だから真面目に、一生懸命、誠実に生きてみることが何より大事なのではないかな。君が40歳、50歳になってもう一度振り返ってみるといいよ。それまで、その疑問を忘れずに、今を生きてみなさい」

 あれから何十年経った今、先生のことを思うと、何と素晴らしいアドバイスだったか…感謝している。“今≠全力で生きる。それも誠実に努力することが結局は生きる意味を教えてくれることになった。恩師とはこういう先生のことなのかとつくづく思う。ありがとう、先生。

▲前列右から6番目が松本先生後列2列目左から3番目が著者(佐野中学校クラス写真)
▲前列右から6番目が松本先生 後列2列目左から3番目が著者
(佐野中学校クラス写真)


恩師〜褒められて勇気

▲著者近影
▲著者近影

■鵠沼海岸在住

酒井(さかい) 力(りき)さん(62歳)

 鵠沼で生まれ還暦が過ぎた。鵠沼の風景が変わった。

 田の稲が刈り取られた後には、れんげ草の畑が生まれた。四葉探しや、れんげ草の首飾りを作って遊んだ幼少期。

 小学校の恩師、国語の入江先生は、生徒の作文や詩を「竹のこ」と題号を付け、ガリ版刷りで作品集を作っていた。宿題の漢字ドリルは机を並べた生徒達に交換採点させ、その点数別に上位から横綱、大関、関脇などとし、教室内の掲示板に張り出して漢字書き取りの意欲を持たせたりもしていた。

 幼少期の私は内気で友達もいなかった。国語の時間、漢字の意味を問われて解っていても発言する勇気がなかった。先生は手を挙げようと迷っている私を見つけ指名した。私は顔を真っ赤にさせ、震える声で答えた。

 先生は皆にそんな私を褒めた。嬉しかった。皆の前で発言できるきっかけが生まれた。もちろん、国語が好きになった。

 作文を作る授業では「感じたまま、見たままを文字で書けばいいのよ」と作った文章を提出すると、その文章をクラスの生徒の前で読んでくれ、文集「竹のこ」にも記載してくれた。

 褒められる喜びで勇気が湧いた。友達も出来た。通知表の担任の一言欄には「発表力が付き友達も出来たようです」と書かれていた。

 通知表を読んだ母親の喜びの顔が、色濃く記憶に残っている。

 環境や自然は刻々と変化していく。変化と共に生きる人生で、良き指導者や良き友人と出会う大切さを実感している。

 褒めて勇気を誘導してくれた恩師・入江先生(故人)に出会えた事に感謝している。

後列左端が入江先生 中央列左端が著者
▲後列左端が入江先生 中央列左端が著者
(鎌倉遠足のクラス写真)