2012年4月25日号 広報ふじさわ…市民の広場  〔 1 / 2 page 〕

ふじさわ探訪
地誌『湘南概観』の著者、永瀬覇天郎

▲江の島にある永瀬覇天郎の句碑
▲江の島にある永瀬覇天郎の句碑

 江の島の稚児ヶ淵に、永瀬覇天郎(ながせはてんろう)「桟橋に波戦える時雨かな」の句碑(1937年建立、1961年再建)があります。永瀬覇天郎は河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)に師事した近代藤沢の代表的な俳人です。句誌「虎杖(いたどり)」(1908年刊)を主宰するなどの活躍が見られ、大正〜昭和初期の藤沢町(旧宿場地域)における文化人のひとりです。

 覇天郎は本名を永瀬登三郎(1873〜1937年)と言い、同町坂戸(現藤沢2-1)にあった銅鉄商「日野銀」の主人でした。1915年、藤沢町において大日本蚕糸会神奈川支会蚕業共進会・高座郡外四郡連合農産物品評会が行われるにあたり、郷土の理解の一助にでもなればと『湘南概観』(発行者=金子角之助〔当時藤沢町長〕、発行所=上記品評会協賛会)を著しています。これは藤沢町を筆頭に三浦半島から小田原・箱根までの「湘南」を対象とした地誌で、関東大震災前の地域の状況を知ることのできるガイドブックです。巻末には「詞藻(しそう)」として、湘南ゆかりの漢詩・和歌・俳句が掲げられていて、短歌には藤沢出身の医師・民権家で衆議院議員も務めた平野友輔、俳句では最後に自作も収められています。

 還暦記念に弟子や血縁者によって刊行された句集『覇天郎』(1933年刊)に掲載された山下紅冠子(長女の夫で村岡村長を務めた山下知七)の跋文(ばつぶん)は、覇天郎について「囲碁は段に入り、書道は六朝の流れを汲み、謡曲に長じ、最近には俳画を能くす」と記しており、晩年は目を患ったものの、悠々とした文人生活を送っていたようです。