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2020年2月10日号 広報ふじさわ…市政情報    〔 22 / 25 page 〕

こんにちは 湘南広域ニュースです

 藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町の2市1町で広報の相互掲載をしています。

 今回のテーマは「各市町の名前の由来」です。

茅ヶ崎市


 茅ヶ崎の海岸一面に、チガヤ(茅萱)という植物が広がる景色を見たことはありますか。

 茅ヶ崎の市名の由来は諸説ありますが、「茅」はイネ科のチガヤが海岸に多く見られたことを表し、「崎」は海岸線が沖へと突き出し、岬に似た地形になっていることに由来しているそうです。

 チガヤは「世界最強の雑草」と呼ばれるほどのたくましい生命力があり、古くから全国に生育しています。また、5・6月には、開花してススキのような白い穂をつけ、若い穂は甘みがあり、昔は子どもたちがおやつ代わりに口にしていたようです。

 また、チガヤには厄払いの力があるとされ、新栄町にある厳島神社などでは、チガヤで編んだ輪をくぐる「茅の輪くぐり」という厄払いの神事にも使われています。

問い合わせ

 茅ヶ崎市秘書広報課【電話】0467(82)1111、【FAX】0467(87)6345

寒川町



市町村の範囲を定めた県公報
(1889年)

 寒川という地名は平安時代に初めて史料に登場します。934年頃に成立した「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」という百科事典のような書物で、高座郡に「寒川」という地名があったと書かれています。一方、寒川神社はそれより100年ほど早く史料に現れます。「続日本後紀(しょくにほんこうき)」という歴史書に、846年に朝廷から位を授かったとあります。どちらも千年以上の歴史をもつ古い名前ですが、神様の名を地名にしたのか、それとも地名が神社の名になったのか、決め手はありません。

 鎌倉時代から江戸時代まで「寒川」の地名は表舞台から一旦姿を消します。戦国時代の町域は「一宮荘」などと呼ばれ、江戸時代も宮山、岡田など現在の大字にあたる村名が単位になっていました。

 それが1889年に復活します。「市制町村制」という法律で全国に市町村を置くことになり、県では同年3月発行の「県公報」で新たな町村の名前と範囲を公表します。そこに11の旧村をまとめた「寒川村」が誕生しました。しかし、どのような過程で名付けたのか、記録がありません。寒川神社に由来するのだろうと推測はできますが、真相の解明が待たれるところです。寒川村は1940年に町制を施行。今年で寒川町になって80周年を迎えます。

問い合わせ

 寒川文書館【電話】0467(75)3691、【FAX】0467(75)3758

藤沢市


 藤沢の地名の由来については、藤の多い水辺の地、藤沢次郎清親(鎌倉時代)の居住地、淵や沢の多い土地、また、大鋸の船玉神社の向かいの崖に古くから藤稲荷が祭られており、この辺りにはかつて山藤が見られたことから、「藤のある沢」が地名の由来であるとする説などがあります。

 いくつもの説がありますが、境川やその支流の滝川、裏山からの湧き水といった河川に接しており、川に由来する「淵沢」がもとではないかとの説が妥当と考えられます。

 藤沢という地名が全国的に広まり定着したのは、時宗遊行四世の呑海上人が1325年に清浄光寺(遊行寺)を開き、山号を藤沢山とし、自ら藤沢上人一世を名乗ったことに関係しています。

 寺院の山号は所在する土地(山)の地名を用いることが多く、遊行寺の周囲は江戸後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのこくふどきこう)」の藤沢宿の地名のふりがなも「布知左波志久(変体仮名で「ふちさはしく」)となっています。

 その後藤沢は、1940年に市制を施行、藤沢市となり、55年に現在の藤沢市の範囲となりました。

問い合わせ

 郷土歴史課【電話】内線6731、【FAX】(50)8432



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