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2022年4月10日号 広報ふじさわ…市政情報    〔 3 / 24 page 〕

特集
藤沢にもたくさんある
鎌倉殿(どの)と御家人たちゆかりの地

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には、個性豊かな将軍や御家人たちが登場します。本市にも彼らにゆかりの史跡や伝承の地が多く残されています。

問い合わせ 郷土歴史課【電話】内線5313、【FAX】(50)8432

※「ゆかりの地めぐり企画~いざ、藤沢!」は、観光課【電話】内線3421、【FAX】(50)8255へ

①大庭城跡

 江戸時代後半に編纂(へんさん)された「新編相模国風土記稿」には、大庭城跡は源頼朝の敵将・大庭景親の居館(きょかん)跡を築城の名手・太田道灌(おおたどうかん)が城として改修したと記載されています。しかし、実際は戦国時代前期の山城です。当時の堀や土塁(どるい)が良好な状態で残っていることから、2021年12月に市指定史跡になりました。史跡一帯は大庭城址公園として整備されています。

隠里(かくれざと)


歌川国芳
「石橋山伏木隠 大場三郎景親」

 大庭城跡から1kmほど南にある宗賢院(そうけんいん)付近の地区を隠里といい、周辺に大庭景親の館があったという伝承があります。隠里の東側には城下(たてした)という地区も残っており、「たて」は武士の居館である舘(やかた)を示していると考えられます。

②皇大神宮


 治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の乱の一つ「屋島の戦い」で活躍したと言われている源氏方の武将・那須与一ゆかりの神社です。与一は弓の名手で、海辺から海上に浮かぶ平家方の船に矢を放ち、見事に的の扇を打ち落とし、成功に勢いづいた源氏は平家に勝利したといわれています。扇を射た時に使った弓と残りの矢を、与一は皇大神宮に奉納したとされています。

③馬喰橋(うまくらばし)

 「新編相模国風土記稿」に馬鞍渡橋という橋が片瀬村に架かっていたとの記録があります。これが現在の馬喰橋と考えられています。地元の伝承によると、源頼朝が片瀬川(境川)に馬の鞍(くら)を掛け、橋の代わりにしたことから名付けられたそうです。

④六本松古戦場(こせんじょう)

 鎌倉入りを目指す源頼朝とそれを阻止したい大庭景親が戦ったと伝えられる場所です。石橋山の戦いで一度は景親に惨敗していた頼朝でしたが、この戦いでは勝利を収めました。

⑤二伝寺

 平良文と子孫の忠光・忠通を供養したと伝えられる塚があります。治承・寿永の乱で活躍した三浦氏や大庭氏、武蔵国の秩父氏、下総国(しもうさのくに)の千葉氏は、先祖が平良文であると名乗っています。良文は別名を村岡五郎といい、本市の村岡に住んでいたとされています。

平良文とは

 平安時代中期の武将で、桓武天皇から四代後の平高望の五男。高望が開拓した荘園が子どもたちに分配され、村岡の荘園を手に入れたとされます。

⑥雲昌寺

 元は瑞龍寺という名前で、北条義時が建立したと伝えられています。創建当初は今田にありましたが、1596年の水害でお堂が流されたことから、現在地に移り名前を改めたといわれています。歴代住職の墓地の一角には義時の供養塔があります。

遠藤の地名の由来

 源頼朝に源氏の再興を促した僧侶の文覚上人(もんがくしょうにん)。出家する前は遠藤盛遠(えんどう もりとお)という、上皇の身辺を警護する武士でした。遠藤という地名は、遠藤盛遠の領地だったことに由来するとの伝承があります。

鎌倉殿の気になるワード

鎌倉殿と御家人たち

源頼朝など鎌倉幕府の最高権力者を鎌倉殿という。鎌倉殿と主従関係を結んだ御家人に北条義時や和田義盛、梶原景時などがいる

治承・寿永の乱

通称・源平合戦という、1180年~85年に行われた源氏と平家による戦い。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡して源氏が勝利

奥州藤原氏(平泉藤原氏)

岩手県平泉を拠点に東北地方を支配。藤原秀衡(ふじわら ひでひら)の時代に隆盛を極めたが、源頼朝から弟・義経をかくまったため頼朝に攻められ滅亡

【A】


白旗神社

 寒川比古命(さむかわひこのみこと)と源義経を祭る神社。神社の名の由来は、源平合戦の際に平家の赤い旗印に対し、源氏は白い旗印を使ったためです。

 境内には義経のかぶとをかたどった鎮霊碑や源義経・武蔵坊弁慶銅像などがあります。



伝義経首洗い井戸

 兄・源頼朝との不和により、奥州衣川で自害した源義経。伝承によると、平泉から運ばれた義経の首は、鎌倉の腰越で和田義盛や梶原景時によって首実検(誰の首か確認すること)をされた後、境川を遡り白旗川の川辺に流れ着いたといわれています。その首を地元住民が洗い清めたのがこの井戸とされています。

 戦中までは近くに首塚があったといわれていますが現存しません。

【B】


江の島岩屋


 古くから修行の場として多くの人々が祈りを捧げた岩屋には、北条義時の父・時政にまつわる次のような伝説が残されています。

 一族の繁栄を願って岩屋にこもっていた時政の目の前に弁財天が現れました。弁財天が時政の子孫が繁栄することを告げ、大蛇となって海中に消えると、その跡には大きなうろこが3枚落ちていました。時政はお告げをとても喜び、うろこを北条氏の家紋としたそうです。


歌川国貞(三代豊国)
「弁才天と北条時政」







江島神社


 江島神社にある八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と石鳥居は源頼朝が奉納したものです。八臂弁財天(国指定重要文化財)は奉安殿、石鳥居は奥津宮で見ることができます。

ゆかりの地めぐり企画~いざ、藤沢!

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、ゆかりの地の紹介や動画の配信、記念品の進呈を行います。

特設ウェブページを開設しています

藤沢市観光公式ホームページ

 本市にある、ゆかりの地やモデルコースを本市の学芸員の解説を交えて紹介しています。

動画も
Check

 オリジナルキャラクターなどが、ゆかりの地を解説する動画も配信しています。

神奈川県公式観光サイト

 県内にある、ゆかりの地や大河ドラマに登場する神奈川ゆかりの人物を紹介しています。

ゆかりの地「江の島岩屋」巡礼企画

 江の島岩屋に入洞した方にオリジナルポストカードをプレゼントします。

「ポストカードをください」
と、お声掛けください

配布開始日

 4月10日(日)

※時間は午前10時~午後5時

配布枚数

 平日100枚、

 土・日曜日、祝日200枚

※なくなり次第終了



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