2013年3月10日号 広報ふじさわ…市民の広場  〔 2 / 2 page 〕

颯田本眞尼(さったほんしんに)、鵠沼・慈教庵創建110年

 東日本大震災の災害復興は途上にありますが、110年前、本市の鵠沼に慈教庵を開いた颯田本眞尼(1845〜1928年)は、被災地救済ボランティア活動の先駆けともいうべき、生涯を慈善事業に捧げた人物でした。

 愛知県(現吉良町)の生まれ、12歳で仏門に入り、18歳のとき慈教庵(のちの徳雲寺)を創建して住職となりました。1890年に三河地方(愛知県、静岡県西部)を襲った津波を機に被災者救済に生涯を捧げる決意をし、翌年の美濃震災から1924年の藤沢町(当時)の震災救済まで34年間に全国23県150カ所あまりを歩いたそうです。寄付を募っては施物などを行い、「生き仏」と崇められました。救済物資を配った戸数は6万あまりと言われています。

 1903年、本眞尼は敬愛する人々から関東に来て教えを広めてくれるようにとの懇願を受け、鵠沼の細川氏別荘の一隅に日清戦争戦死病没者供養として浄土宗説教所を建立し、慈教庵と号しました。鵠沼の庵には全国から訪れる人が多く、地元からも「尼寺さん」と親しまれていました。

 庵は関東大震災で倒壊し、本眞尼は無事でしたが、1927年に愛知県の徳雲寺に帰り、翌年8月に亡くなりました。享年84歳でした。慈教庵(のちの本眞寺)はその後現在の位置に移って再建され、35年に本堂が完成しました。

 ※参考文献…藤吉慈海著「颯田本真尼の生涯」


現在の本眞寺(写真上=本堂、右上=門)

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