2009年12月10日号 広報ふじさわ…市長対談・市民の広場  〔 3 / 3 page 〕

まちの話題

片瀬こまから、
郷土愛を育てたい

除幕式の日、片瀬こまで遊ぶ関係者と子どもたち
除幕式の日、片瀬こまで遊ぶ関係者と子どもたち

子どもたちが誇りを持てるまちにするために、できることは何か

 「子どもたちにもっと、伝統文化に目を向け、そして引き継いでいってもらいたい。それが藤沢市民としての誇りにもつながると思うんです」。

 (社)藤沢青年会議所(以下「藤沢JC」)の郷土愛創造委員会委員長の菅野正二郎氏は、片瀬こまを見詰めながら語った。

 藤沢JCの、「子どもたちのためのまちづくり」という中期運動指標に基づき08年の地域力創造委員会から継続して片瀬こまの普及活動に取り組んでいる。

「片瀬こま」復活・生産へ〜引き継いでいくために

 片瀬こまについて手探りで調べ始め、唯一の職人熊野安正氏に会うことができた。片瀬こまの職人は代々1人。先代の幸太郎氏は昭和初期に引き継ぎ、30年ぐらい前まで作っていた。幸太郎氏が亡くなり、安正氏が定年後、今から4〜5年前に作り始めたという。

 ただ片瀬こまの生産は思うようには進まない。材料のツバキと樫の木を仕入れ、仕上げるまでに約3カ月掛かる。制作は職人1人で1カ月に60個ぐらいが限度だ。

 そこで現在はNPO法人湘南ふじさわシニアネットが生産に加わり材料の下準備などを手伝っている。しかしこまを仕上げるには熟練の技術が必要で、仕上げは熊野氏に任せざるを得ない。

 菅野氏もこま作りを体験し、その難しさを肌で感じたというが、今後の生産についてはむしろ楽観的だ。「慣れてくればNPOの方々もノミなどを使えるようになる。そうすれば生産性も上がります。私たちはみんな地域コミュニティーの復活とか、伝統技能・芸術を自分たちの手でつないでいきたいという強い思いがある。だからやれますよ」と明るい表情で語る。

モニュメントの完成、地域イベントへの参加

 普及に向けて藤沢JCは、月に一度のペースで各所に出向いて体験会を開催している。片瀬こまを知らない子どもたちが多いが、2時間ぐらいで回せるようになり、すぐに夢中になる。男の子も女の子も関係なく仲良く遊んでいるという。子どもたちの姿を菅野氏は「最初はひもも巻けないし、回らない。でもちっちゃい手で大きなこまをどうにか回そうとしているのはかわいらしいですよ」と楽しそうに話す。

 そのような地道な活動が徐々に広まっていき、片瀬漁港の市民交流広場に11月8日、片瀬こまモニュメントが完成した。

 当日は藤沢市長、市議会議長、地域の方々、藤沢JCのメンバーなどが出席した除幕式とともに、子どもたちを集めてこまの記念大会を開いた。会場に集まった子どもたちは、寒空の下、元気いっぱいにこまを回した。

片瀬こまへの思い〜未来へ向けた夢

片瀬こまへの思い〜未来へ向けた夢

 菅野氏の頭の中には、「片瀬漁港のモニュメントの前で片瀬こま回し大会をやりたい。生産体制が整えば、市内の小学校の入学のお祝いに贈ったりもできるかもしれない。そうなれば学校選抜で競い合うのも楽しそうですよ」と夢が広がる。

 また今の活動に対する意気込みを聞くと、「一番はやはり懐かしいという気持ちと、楽しい思い出があったからです。郷土愛は、楽しい思い出から生まれてくる。こまを回せなくてその時は悔しい思いをしても(笑)、それがまた良い思い出になる。『おらがまちには片瀬こまがある』と子どもたちにも、大人になった時に思い出してほしいんです」と語ってくれた。

 片瀬こまは、藤沢の地名が付いた子どものための遊び道具だ。それを藤沢の伝統として後世に引き継ぎ、根付かせていく。そうすることで、まだ近隣や江の島に比べて知名度が低い藤沢の名前やまちを、子どもたちに片瀬こまの思い出とともに誇りに思ってもらいたい。それが藤沢JCの願いだ。

藤沢JCのメンバーと片瀬こまのモニュメント(左から4人目が菅野氏)
藤沢JCのメンバーと片瀬こまのモニュメント(左から4人目が菅野氏)

片瀬こまの歴史

制作に取り組む熊野氏
制作に取り組む熊野氏

 片瀬こまは、喧嘩(けんか) こまとしてかつては湘南地域で最強といわれた。起源は大正元年に発生した箱根の火事で挽物(ひきもの)職人が焼け出され、親戚を頼りに片瀬にたどり着き、子どもたちに作り始めたといわれている。また大山こまが江戸時代に大山街道を経て土産物として伝わったという説もある。

 材料は本体がツバキ、心棒が樫の木。どちらも硬く、こまとこまをぶつけて競う喧嘩こまに向いている。色は緑がシンボル色。男の子が生まれたときや、新築祝いなどの贈答品としても用いられ、そのようなお祝いの際は赤く塗られたりもしていた。

 現在、唯一の職人熊野安正氏は先代の幸太郎氏が残した機械・道具・小屋を使い、父の姿を思い出しながら制作に取り組んでいる。