2011年4月25日号 広報ふじさわ…市民の広場  〔 1 / 1 page 〕

まちの話題

被災地の不安と笑顔
ボランティアの医師が出会ったもの

被災者宅へ往診をする酒井医師
被災者宅へ往診をする酒井医師

被災地で往診に奔走孤立の不安を取り除くために

 「神奈川県から来ました。大丈夫ですか?」

 3月21日、宮城県南三陸町。津波で壊滅的な被害を受けた同町で、片瀬海岸在住の医師・酒井太郎さんは在宅医療が必要な高齢者への往診を行っていた。被災地の様子を報道で知り、「医師として何かできないか」と考えた酒井さんは、仲間2人とともに宮城県を訪れていた。

 地震から1週間以上が経った当時、同町では寝たきりなど在宅診療を受けていた高齢者が避難できず、家族ともども自宅で孤立したままになっていた。往診の必要性が分かっていても、被災地の医療関係者は避難所での診療で手一杯なのが実情だった。「何の情報もないままにライフラインを断たれてしまって、いつ来るともわからない助けを、介護しながら待っている。本当にかわいそうで…」と酒井さん。

 現地の訪問看護師とともに診察を行い、「大丈夫ですよ」と言うと、高齢者と家族は「遠いところから、どうもありがとう」と安堵の表情を浮かべた。

 酒井さんの頭に、普段往診をしている地元の患者さんの姿がよぎる。災害時、自宅から逃げることができない方々とその家族の不安をなくすためにはどうすればいいのか。

 「今回のように大きな震災でなくても、どこでも起こりうること。今後、災害対策の見直しを議論する中で考えなければいけないことだと思います」

避難所の子どもたちとクルクル回る片瀬こま

懐かしい遊びに大人も笑顔
懐かしい遊びに大人も笑顔

 患者さんのための医薬品とともに、酒井さんは子どもたちのために「片瀬こま」を持って行っていた。

 片瀬こまは、「喧嘩こま」として有名な湘南地域に伝わる遊び道具。一時は姿を消しかけたが、藤沢青年会議所の有志などが中心となって伝統復活のための活動を続けている。その熱意に感銘を受け、酒井さんも幼い息子と遊ぶために購入しておいたものだった。

 避難所では、大人たちが復旧作業などで忙しい傍ら、子どもたちが時間を持てあましていた。酒井さんが片瀬こまを手渡すと、子どもたちは大喜び。「学校の授業で習ったことがある!」と器用に遊ぶ姿に、次第に大人も「こうやって回すんだよ」と加わり、こま談義がはじまった。

 職人手作りの片瀬こまは、多少の障害物がある場所でも安定してクルクルと回り続ける。もちろん電気がなくても関係ない。

 その日は、日が暮れた後も子どもたちはこまを回して遊んでいた。避難生活で疲れた大人たちにとっても、帰還日を数日後に控えて「もっとできることはないか」と胸を痛める酒井さんにとっても、こまで遊ぶ子どもたちの笑顔は、大きな救いとなった。

片瀬こまで遊ぶ避難所の子どもたち
片瀬こまで遊ぶ避難所の子どもたち

崩れない笑顔と心「人間って、すごい」

 片瀬こまで遊んだ男の子の1人は、津波で家を流された被災者だった。避難所に生徒の様子を見に来た教師が「卒業式をやるから学校においで」と声を掛けたところ、「家もランドセルもないから行かないよ」とさらりと答えた。

 酒井さんが言葉を失って見守る中、教師は「来ないんだったら成績表を廊下に張っちゃうよ」と明るく会話を続けた。男の子は「ヤダヤダ、行く行く」と屈託のない笑顔を見せた。

 酒井さんとともに往診に回った南三陸町の看護師は、勤務中に被災した。病院の4階以下が津波で流され、多くの仲間を一瞬でなくすという途方もない苦痛の中で、全国から駆けつけた医師たちとともに奔走し、患者に安心を届けている。

 医師として、ボランティアとして、被災地の人々に向き合った酒井さんが出会ったものは、想像を超えた人間のたくましさだった。数キロ先までガレキの山という壊滅的な風景の中で「がんばろう」と声を掛け合い、みんなで前へ進もうとしていた。

 「文明は自然の前ではもろく崩れてしまう。だけど、人間は強いです。逃げられない状況に立ち向かうために、なんとか明日生きることを考えはじめる。

 人間ってすごい、と思います」