2012年2月10日号 広報ふじさわ…市民の広場  〔 2 / 2 page 〕

まちの話題

まちの安全、住民の安心を守る〜藤沢暴力追放推進協議会

「暴力ですか?それは私だって怖いですよ」と笑顔で語るのは、藤沢暴力追放推進協議会の名誉会長を務める相原利夫さん。会発足20年目となる昨年11月、これまでの地道な活動とその功績を高く評価され、神奈川県で3人目となる暴力追放功労者表彰栄誉金章を警察庁長官より表彰された。

藤沢暴力追放推進協議会

暴力団と綱引きで勝負「絆」で増やした会員数

「今回の章は私個人で受章させてもらいましたが、一人ではなく、会全体での受章だと思っています。こういう組織は一人が旗を振っても、周知されないものです。会員全員で一丸となった結果です」。

1992年に制定された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)」の制定に伴い、藤沢警察署の指導のもと、93年に藤沢暴力団排除対策協議会が警察署内に発足。創設メンバーは当初15〜16人。商工会議所の建設業部会のメンバーだった。「私もそうですが、建設業者は暴力団によるゆすり、たかりなどのターゲットになりがちでした」。

まずは会員を増やすことに苦労したと言う。「暴力団を相手に街を変えるには、暴力団員の数を上回る会員数で対抗すれば、『綱引き勝負』と同じできっと暴力団員の数を減らすことができると思い、増強運動を奨励しました」。

会が大きくなるきっかけとなったのが、市民まつりでパレードに参加したことだった。大人も憧れる大型バイク、ハーレー・ダビッドソン40台に「暴力追放」ののぼりを掲げ、藤沢の街を走ってみた。すると反響は予想以上に大きく、この圧巻な光景を目にした市民や中小企業の社長たちが徐々に会員に加わり、今では250人もの会員数にまで増加した。「やはり『絆』のおかげです。人と人との絆に加え、行政との絆も大きかったと思います」。

ハーレー

「暴力団」から広い意味での「暴力」へ

多くの人がこうした活動に注目し始めたのが、97年に辻堂のマンションで起こった暴力団組員による発砲事件だった。会員たちは地域住民に情報を聞いて回り、それを警察署に提出し捜査に協力した。その後、暴力団の事務所を辻堂から退去させたのだ。

この事件をきっかけに、協議会の事務所を藤沢警察署から名誉会長が経営する会社内に移し、名称を現在の藤沢暴力追放推進協議会に変更した。「市民の方が警察署に直接行くのは、足が重たいですよね。もっと気軽に話せる場所が必要だと思いました」。

相談の内容は、暴力団に対する苦情だけでなく、広い意味での「暴力」に関することまで受け付けていると言う。「例えば市内の薬局から、一般女性のお客さんに嫌がらせをされているけど、どうしたら良いでしょう…なんて相談もありました。警察では対応しきれない些細な相談なども、気軽に話しに来てほしいです」と語る。

パレード

暴力行為をなくし明るく平和なまちに

協議会が今最も懸念している問題は、藤沢駅南口周辺で行われている麻薬の密売や飲食店による不当な路上勧誘だ。これらの行為を防止するために、昨年暮れから地域の防犯協会などと協力して30〜40人で駅周辺の「夜回り活動」を始めた。「『藤沢には、暴力・犯罪行為を見張っている人がこんなにいるぞ』とPRして歩くことで、暴力団はもちろん、若者たちが『犯罪を起こせない街』になるだろうと願っています。また、市民の犯罪に対する認識が高まることで、犯罪を未然に防げるはずです」。

「若い人達が希望を持てる街にしたいです。この街に住んで良かったと思ってもらえる、安全・安心で明るい街。次の世代の人たちのために、まだまだ頑張ります」。協議会は、藤沢の街をこれからも見守り続ける。