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●第58回投稿テーマ「マイ ファミリー」父の介護■藤沢在住 松林(まつばやし) 章子(あきこ)さん(43歳) 「愛している」と、下の世話ができて初めて言える 私は、目下独身ですが、父と母の愛情の濃(こま)やかさは、父が車いすに乗るようになって初めて分かりました。夫婦とは、こんなにも絆が強いものだとは思いませんでした。母がこんなにもがんばれるとも思いませんでした。父が在宅介護になった当初は、下の世話が大変だろうなあ、と母を案じていましたが、慣れるとそんなに大変でもなさそうです。私がパートに出掛けると、母は一人たんたんと、オムツを替えています。 その様子を見ていた私は、韓国ドラマの『天国の階段』などで「愛している」と簡単に言うけれど、下の世話ができてやっと愛していると言えるのだと確信しています。 父の笑顔は、天使の笑顔 父は、くも膜下出血で倒れました。手術し、リハビリを乗り越えて家に帰ってきました。喋(しゃべ)ることも不自由です。ただ私のエプロンのWELCOMEを「ウェルカム」と読んで、皆に「読めるんだー!」「病院の先生が血管を英語が読めるようにつないでくれたんじゃない?」などと言われていますが、父はいつもニコニコしています。満足の笑顔だったり、嬉しい笑顔だったり。介護する私たちには、その笑顔が、大きな支えです。私も「笑顔の素敵なおばあちゃんになろう!」と思っています。 母と私は、最強タッグ。でも、父がいないと… 母は、お料理と父の世話。私はお掃除と食事の後片付けとお洗濯。と、それぞれ得意分野で頑張っています。お互い尊重し合いながら、いたわり合う、そんな関係に変わってきました。でも、父がショートステイで家にいないと、なぜか調子が乗らないのです。そう、けんかしてしまうのです。父はやっぱり我が家の大黒柱なのです。 介護は、先が見えない? 心配性の私は、父が病院から帰ってくる前、どんなに介護が大変か、マリッジブルーならぬ介護ブルーになっていました。でも初めこそ大変でしたが、慣れてみると笑いの絶えない介護生活になっています。先のことは分かりませんが、「その時になって考えよう!」と思い、今日も家族で助け合いながら生活しています。 |
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