
東日本大震災
がんばろう
日本 がんばろう
東日本
みんなの
藤沢も、いっぱい
応援しています!
3
月11
日に
起きた
東日本大震災では、
多くの
方が
亡くなったり、
家を
流されてしまったり、
大変な
被害が
出ました。
苦しんでいる
人を
助けるために、
藤沢市でもいろいろな
人が
応援をしています。
みんなの
気持ちを
届けました
◎
救援物資を
送りました
オムツや
毛布、
乾電池など、
避難所の
暮らしに
必要なものを
家から
持ってきてもらいました。
集められた
物はきれいに
整理し、
段ボール
箱につめて
被災地へ
送りました。
みんなの「がんばってください」という
気持ちを
伝えるために、
自転車や
野菜も
届けました。
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自転車は、
持ち
主が
分からなくなっていたものをピカピカにして
送ったんだよ。
自転車もきっと
喜んでるね
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◎
義援金が
集まりました
災害にあった
人を
助けるために
使うお
金を「
義援金」といいます。
募金箱に
皆さんが
入れてくれたお
金や、
市内の
会社などから
市役所に
届けられたお
金を、
直接
持っていったり
日本赤十字社などを
通じて
被災地に
寄付したりしています。
◎
公共施設が
避難所になりました
自分の
家に
住むことができなくなってしまった
人のために、
石名坂温水プールの
利用を
一時停止し、
避難所として
使ってもらっていました。

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元気を
出してもらえるように、
避難所の
壁に
藤沢総合高校のお
兄さんお
姉さんが
書いたメッセージをはったのよ
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いろいろな
職業の
人が
助けに
行きました
◎
消防士さん
地震が
起きたその
日の
夕方、すぐに
被災地へ
行きました。
津波で
海岸地域一帯の
家や
建物などが
流されてしまった
仙台市
宮城野区、
原発事故によって
避難が
必要となった
福島県内などで、
住民の
方々が
一日でも
早く
元の
生活ができるように
多くの
消防士さんが
働きました。
◎
市民病院のお
医者さん・
看護師さんたち
お
医者さんをはじめ、
看護師さん、
薬剤師さん、
臨床検査技師さんが
被災地の
病院へ
患者さんを
助けに
行きました。
地震が
起きたすぐ
後、
水や
電気があまりない
中で、ケガや
病気の
人のために
働きました。
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全国の
消防署や
病院は、
大きな
災害が
起こった
時に
助け
合う
約束をしているんだよ。
いつでもすぐ
駆けつけられるように、
日頃から
訓練をしているんだって! すごいね
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このほかにも、
市のいろいろな
職員さんが
被災地に
行って、
東北のみんなのために
働いたのよ
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ボランティアに
行った
人のおはなし
仕事や
学校のお
休みを
使って、
自分たちの
意志で、ボランティアとして
被災地のために
働いた
人たちもたくさんいます。
◎
医師・
酒井さんのお
話
避難所の
診療所で
現地のお
医者さんの
代わりに
診察をしたり、
家に
取り
残されてしまったお
年寄りのために
往診に
行ったりしました。
避難所には、
悲しい
思いをしている
子ども
達がいっぱいいます。だけど
藤沢の
名物「
片瀬こま」をあげたら、
藤沢のみんなと
同じように
笑顔で
遊んでくれましたよ!
◎
美容師・
川部さんのお
話
美容師の
仲間でグループを
作って、「
髪を
切って、サッパリとした
気分になってもらおう!」と
避難所でボランティアをしています。
カットしている
間に、
被災者の
方ひとりひとりといろいろなお
話をします。お
話をていねいに
聞くことで、
少しでも
気持ちが
楽になってくれればうれしいな、と
思っています。
みんなができることを
考えてみよう!
節電する
地震の
影響で、
使える
電気の
量がいつもよりも
少なくなっています。しかし、
地震でこわれてしまった
家や
工場などを
直すためには、たくさんの
電気が
必要です。
大切な
電気をみんなのために
使えるように、
電気のムダ
使いはやめましょう。
チャリティーのイベントなどに
参加する
名前に「チャリティー」という
言葉が入っているイベントに
参加することは、
被災地を
応援することにつながります。
おこづかいで
募金もしてみましょう。
地震について
勉強をする
地震で
悲しい
思いをした
人たちの
多くは、「この
地震のことを、みんなにいつまでも
忘れないでほしい!」と
思っているそうです。
みんなの
近くにボランティア
活動などに
参加した
大人がいたら
東日本大震災についてお
話を
聞いたり、
本や
新聞
読んだりして、
将来どんなことができるかを
考えてみましょう。
