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![]() 中世の藤沢の姿を知る 鎌倉党と大庭御厨(みくりや)現在の鎌倉市から茅ヶ崎市にかけてのエリアは、かつて鎌倉党と呼ばれる一族が治めていました。鎌倉党はのちに大庭氏や俣野氏、梶原氏などの武士団を輩出します。大庭景親や梶原景時のように、名前に「景」の字が付くことが特徴です。 一族の発展に大きく貢献したのが、鎌倉権五郎景政(景正)です。1083年、奥州で起きた「後三年の役」に若干16歳で従軍し、弓矢で右目を射られながらも奮戦したといわれる勇猛果敢な武将です。 1116年、景政は先祖から受け継いだ土地を開墾し、伊勢神宮に寄進します。伊勢神宮の荘園は「御厨」といい、寄進した土地は大庭御厨となりました。これ以降、鎌倉党の嫡流は大庭御厨を中心に活動するようになり、景政の後は息子の景継が、その後は一族の大庭景宗が継承しました。 伊勢神宮の記録「天養記」によると、大庭御厨の範囲は、東は俣野川(境川)・西は神郷(寒川神社の社領)・南は海・北は大牧崎とあります。大牧崎はこれまでの研究で亀井神社南側一帯を指すと考えられています。大庭御厨は中世の藤沢の重要な土地の一つでした。 問い合わせ 郷土歴史課【電話】内線5313、【FAX】(50)8432 |
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