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藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町の2市1町で広報の相互掲載をしています。
今回のテーマは「歴史」です。
徳川家康が宿泊した藤沢宿の御殿
東海道五十三次の6番目の宿場であった藤沢宿は、江の島道や大山道への分岐点として栄えました。東海道の宿駅として藤沢宿が整備されたのは慶長6年(1601年)のことですが、それ以前に徳川家康が宿泊施設として利用した藤沢御殿が現在の藤沢一丁目辺りに築かれました。記録によると、御殿の敷地は東西約156m、南北約71mの長方形で、周囲を水堀により囲まれており、慶長5年(1600年)に徳川家康が宿泊して以降、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の時代にわたり利用されました。
茅ヶ崎史に名を残す茅ヶ崎館
明治時代から茅ヶ崎は9代目市川團十郎や川上音二郎を始めとする文化人達により文化の街として賑わっていました。その中でも旅館・茅ヶ崎館は、1936年に映画配給会社の松竹撮影所が大船にできて以降、映画監督の小津安二郎をはじめ多くの監督や脚本家の創作場所として利用され、さまざまな映画人が訪れました。中でも小津は1937年に茅ヶ崎館を初めて訪れた際に、静かで宿泊客の生活習慣に全て合わせる環境を気に入り1941年に始めた「戸田家の兄妹」の脚本執筆から茅ヶ崎館を使うようになりました。戦後の10年間は毎年1年の半分以上滞在していたそうです。小津は茅ヶ崎館でさまざまな脚本家との共同執筆により多くの名作を生み出し、中でも脚本家の野田高梧と手掛けた映画「晩春」で、短いセリフ回しやローアングルにこだわった「小津調」を確立したといわれています。
映画史に今も語られる小津映画の魅力が生まれた茅ヶ崎館
には、是枝裕和監督や西川美和監督など日本を代表する映画人が訪れるそうです。これからも、茅ヶ崎館で素敵な作品が生み出されていくのではないでしょうか。
問い合わせ
茅ヶ崎市広報シティプロモーション課【電話】0467(81)7123、【FAX】0467(87)6345
国登録有形文化財 旧広田医院
2023年8月7日、「旧広田医院主屋」と「旧広田医院門柱及び塀」が、寒川町で初めて国登録有形文化財(建造物)に登録されました。
主屋は洋館付和風住宅で、平屋建和館部分は床の間・床脇・書院等格式のある座敷があり、伝統的な建築物となっています。洋館の1階では、医院が営まれていた当時の大壁漆喰(しっくい)仕上のエックス線室や薬局が、2階には洋風の縁廊下と上げ下げ窓、特徴的な和風の座敷が残っています。当時、都市近郊では和洋館を併設する建物が普及し始めていたこともあり、寒川における近代化のシンボル的な住宅でした。
和館の元となる建物は明治時代に建てられ、関東大震災の被害を受けながらも整備・再建を重ねて今の形に至っています。1929年には、のちの初代寒川町長である広田孝基氏によって洋館・門柱・塀が増設され、その後、息子の広田孝平氏が洋館の改修等を行い、広田医院を開業しました。内科・小児科であったことや、当時は周辺に病院が少なかったこともあり、かかりつけ医として多くの住民に親しまれました。2003年に閉業しましたが、「広田医院にかかっていた」という人は今も少なくありません。
※私有地のため来訪はご遠慮ください
問い合わせ
寒川町広報戦略課広報プロモーション担当【電話】0467(74)1111、【FAX】0467(74)9141