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更新日:2016年9月13日

近代の旧藤沢宿地区

地域における流通の中心地であった旧藤沢宿地区は、明治時代になって宿駅制度が廃止されたのちも賑わいを保ち、周辺の農村地帯からの麦・米等の農産物を買い取る一方、農産に必要な肥料等の販売を行う「米穀肥料商」が繁盛し、資本を形成しました。

明治20年(1887年)に宿場の南に鉄道の駅(藤沢停車場)ができると、徒歩による街道の通行者は減少しますが、旧藤沢宿地区は問屋街に転身して、地の利を生かした広範な商品流通の場となり、地元資本による銀行の設立など、地域経済の核としての役割を担うようになりました。

その後、大正12年(1923年)の関東大震災による被災に加え、昭和初期の経済恐慌のあおりを受けた銀行の倒産など、繁栄にもかげりが見え出し、明治41年(1908年)に誕生した高座郡藤沢町(旧宿場地区と鵠沼村、明治村が合併)の賑わいの中心は、町南部の観光地化、別荘地化とも相まって、次第に南の藤沢駅周辺に移行していきました。

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