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更新日:2023年7月25日
藤沢市では、「藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言」に基づき、次代を担う青少年を被爆地広島に派遣しています。
令和5年度は、これまでの平和学習事業をリニューアルし、参加者が主体的に被爆者から話を聞き、学び、それを伝える体験型プログラムとして実施します。
参加には申し込みが必要です。
令和5年度平和学習広島派遣プログラム
新横浜集合 新横浜⇒広島、原爆ドーム・平和記念資料館見学(昼食・夕食付き)
平和記念式典、旧中島本町慰霊祭参列、学習プログラム①(朝食・昼食・夕食付き)
学習プログラム②~④、広島⇒新横浜 到着後解散(朝食・昼食付き)
2001年(平成13年)、広島県生まれ。東京大学学生。「平和教育の教育空間」について、実践と研究を進める。2017年(平成29年)、中島地区(現在の広島平和記念公園)に生家のあった濵井 德三さんと出会い、「記憶の解凍」の取り組みを開始。これまでに展覧会、映像制作、アプリ開発など、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。
庭田 杏珠さんとともに、現在の広島平和記念公園の場所、旧中島地区を「記憶の解凍」ARアプリを使って歩きます。原爆投下前、多くの人の暮らしがそこにありました。当時の写真が撮影された場所を巡り、原爆が一瞬にして奪った日常を想像し、戦争の悲惨さを学びます。
1949年(昭和24年)広島生まれ。高校教員を経て1980年(昭和55年)広島市こども文化科学館。元館長。 現在、日本路面電車同好会中国支部代表、広島国際学院大学評議員、比治山大学講師等。
広島電鉄には、走行中に被爆し、修復後、現在も生活の足として運行されている車両があります。「被爆電車」を通して原爆で廃墟になる前の魅力的な広島の街や被爆当時の様子、そして、戦後の復興に向けた人々の思いを学びます。
1939年(昭和14年)広島市生まれ。小学1年生のときに広島駅近くで被爆。1962年(昭和37年)から広島市で小学校教諭や校長を務める。2001年(平成13年)に「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」を発足し、事務局長に就く。令和に入ってからは、財団法人広島平和文化センターの被爆体験証言者として「三度許すまじ」を伝える活動を行っている。
「核兵器は、三度目許してはいけん。広島と長崎で終わり。三度目の核兵器を使うことがあったら人類は危ない。」
小学1年生のとき、広島駅の近くで被爆した梶矢 文昭さんの壮絶な体験を聞き、核兵器の恐ろしさや平和の大切さを学びます。
「被爆電車」に乗車し、被爆当時の様子や戦後復興の足跡を学びます。
被爆電車を含む2両を貸し切り、それぞれの車両に加藤 一孝さんと梶矢 文昭さんのお二人が乗車します。
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